人を動かし、世の中を動かす凄いアイデアの仕組みとは?

『私たちの友人の友人の話だ。仮に彼をデーブと呼ぼう。デーブは良く出張に行く。このあいだも顧客との重要な打合せのためアトランティックシティに出向いた。仕事を終え、帰りの飛行機まで時間があったので、地元のバーで一杯飲むことにした。
ちょうど一杯飲み終えたとき、魅力的な女性が近づいてきた。
「もう一杯いかが?ごちそうするわ」
ちょっと驚いたかが悪い気はしない。「いいね」と答えた。女性はバーコーナーに行き、飲み物を二杯持ってきた。一杯は自分がとり、一杯をデーブに差し出す。デーブは礼を言うと、グラスに口をつけた。記憶はそこで終わり。
 いや正確には、目を覚ますまでの記憶が飛んでいるのだ。目覚めたとき、デーブはホテルの風呂の仲で氷水に浸っていた。頭が混乱している。
 デーブは慌てて辺りを見回した。ここはどこだ?いったいなぜ、こんなところにいるんだろう?そtのとき、一枚のメモに気づいた。
「動くな。救急車を呼べ」
風呂のそばの小さなテーブルの上に、携帯電話が置かれていた。デーブは、かじかんだ指で不器用に911番をプッシュした。交換手は奇妙なことに、彼が置かれた状況を熟知しているようだった。
「いいですか、ゆっくり気をつけながら、背中に手を回してみてください。腰のあたりからチューブが出ていませんか?」
デーブは不安に駆られながら、腰のあたりを手探りした。確かに、チューブが突き出ている。
交換手は言った。
「落ち着いて聞いてください。あなたは腎臓を1つ取られたのです。この町で暗躍する臓器狩り組織の犯行ですね。今、救急車をそちらに向かっています。動かずに待っていてください。」』

 このような物語でこの本は始まる・・・。

アイデアのちから

アイデアのちから

私は色んなところで、アイデアを出すことを要求される。それはもちろん仕事でもそうであるし、外部団体でもある。もちろん家族と喋っていても、子供と遊んでいてもである。

「このような問題をどのように解決すればよいのか?」そのような問いかけに対して

「こうやればいいのではないか・・・」とアイデアがわいてくる瞬間がある。
しかし、問題はそれ以降なのである。

イデアなり着想なりは、言葉や文字になって変換される。もちろんである。しかし、その言葉や文字は所詮言葉であり文字なのである。

肝心なことは、どのように伝えるかと言うことであると思っている。これらの無味乾燥な言葉や文字の羅列にいかに生命を吹き込むことが出来るかが問題なのである。
どれだけ優れたアイデアや計画であっても相手に伝わらなければ全くの無価値なものになってしまうのである。

この書籍はこれらの重要性を非常に分かりやすい文体で説いている。

読みながら膝を打つことがしばしばであった。

興味のある人は是非ご一読を!(書店で買うか、社長室まで!)