日本国民に告ぐ

今日は中国進出の先輩企業である会社へ営業を兼ねて挨拶に行った。
その会社の所長さんは私よりも若く恐らく三十代半ば位か…多少メタボ気味の方ではあるが誠実そうな方である。
その所長さんがのっけからぼやき始めた。

「日本と同じレイアウトの工場なのだが、同じ品質の物が出来ずに苦労している。」
「折角の受注なのだが、出荷できるレベルではないので頭が痛い」

と、いつになく語気が弱い。

弁解する様ではあるが、この会社は日本では一部上場で製造業では一流と言われても良い会社さんである。
中国の他にも海外での生産拠点もたくさん 持っておられる様な会社である。
その会社のスタッフが中国という国にてこずっているのである。

また、日本から同じく中国に進出した粉体系機械の製造業の現地責任者も落第ではないレベルに持って行くのに三年かかったと仰っていた。

ここで「やはり中国人はあかんなぁ」と短絡的に考えて欲しくない。

日本もかつては「安かろう悪かろう」の代名詞であった。
それは100年も前の話ではなく、ほんの40年位前の話である。
そして、その頃アメリカ製の物を「舶来」と呼び尊びた。

この40年で我々の先人たちは品質に対する考えを究極にまで突き詰めた。
その結果として日本ブランドは世界でも最高の品質と同義となったのである。
そして、いまや「舶来」を重宝がる人は圧倒的に少なくなった。

そうかつては我々も「あかんなぁ」と言われていたのである。

かつての「舶来」の道をたどらぬ様に日々「もぎ取る」姿勢を忘れない様にせねばならない。